社団法人 松本青年会議所
副理事長 中田 忠章
社団法人松本青年会議所(以下松本JC)は今年で51年を迎えます。つまり半世紀が経過し、また新たな半世紀に向けた第一歩を踏み出す年であります。今年は過去を振り返ると共に、これからの新たな私たちの進むべき道を示していく必要があります。組織的にも運動的にも。そのためにも良き伝統は継承し、過去の悪しき慣習は改善もしくは撤廃し、松本JCの“本来あるべき姿”を追求していかなければなりません。青年会議所活動を行っていくためには、義理と人情、思いやりが必要だと考えますが、最近感じるのは、その義理と人情、思いやりが希薄になっていることです。もちろん事業を行うためには当たり前ですが熱い思いなくして成功には至りません。また多くの会員の協力もなければ成功しえません。しかしお互いの立場でそこに義理と人情、思いやりがもっと加わっていれば今まで行ってきた事業もさらに良い結果を残し得たかもしれません。恐らくそんなことは当たり前だと思われる人がほとんどだと思いますが、この松本JCではそんな当たり前の事が出来なくなってきている気がします。そのためどこか他人事(ひとごと)となっている雰囲気を感じてしまうのではないでしょうか。このほかにも見直すべき慣習もありますが、同時に引き継ぐべき良き伝統もあるはずです。この51年目という半世紀の一歩を踏み出すこの年に、それらを見直し活動して参りましょう。
故郷の誇り創造会議
過去50年間、松本JCは様々な事業を行い、また様々な提言を行って参りました。その中でこの地域(まち)の魅力を数多く見出し市民へ発信して来ました。まずは今までの活動を見直し、さらには今年の全委員会活動の内容を集約させ、過去および未来の事業について議論を尽くします。また昨年は歴史的な政権交代という大きな変化があった年でありましたが、「地域主権型社会」実現に向け、行政の過去の実績および今後の政策を現在の大きく転換した流れと照らし合わせ検証していきます。以上を踏まえ、かつ「明るい豊かな社会の実現」を市民に訴える中で、市民に明るい未来像を描いてもらうべく10年先を見据えたこの地域(まち) の新たな魅力を加えたグランドデザインを構築し市民へ発信します。「Cool Matsumoto!」創造委員会
この地域(まち) の持つ強みを活かした、新たな産業を創出します。その準備段階では過去にも行われた「松本ブランドの棚卸し」を再度現在の視点から行い、今まで見出せなかったような新たな地域ブランドを発掘いたします。その上で「Cool Matsumoto!」と呼べる新たな価値による産業を発信します。このクール(Cool)とは地域の芸術・文化・ソフト産業など独創性のある格好の良い(Cool)ものだけでなく、この地域(まち) にしかない「岳・学・楽」という3つの「ガク」という地域資産も含め、より強固な産業として発信できる松本にしかない魅力です。また「Cool Matsumoto!」の一つでもある「信州まつもと空港」は現在その存在意義と価値が問われておりますが、利用方法によってはこの地域(まち)に多くの恩恵をもたらす、この地域(まち) にとってのかけがえのない財産であるはずです。そのかけがえのない財産の未来を見据えた信州まつもと空港の存在意義と価値および新たな可能性を模索します。
社団法人 松本青年会議所
副理事長 堀川政美
「青年会議所に入って、もっと青年として成長してみないか?」
2004年12月末、父の会社に訪れた、父の知り合いに声を掛けられた日から早5年。自分の夢の実現の為、家族経営の会社に属することなく、勤め人、派遣社員を転々としていた日々。自分のレベルの低さを痛感しつつ、一度夢への道から降りた年。そんな年に青年会議所というフィールドを得た。
入会1年目、家族経営の会社の一員として存在価値を見出そうとアクセルを踏み続け、その流れる景色の中に、同期のメンバーからの誘いの電話、事業の案内も消えていった。 2005年の12月、退会を決意しつつ、ただこなすために参加したその年最後の理事会の議事録作成人。時計の針が翌日を示しても、この地域(まち)の未来像について真剣に議論する、自分と同じ世代の姿に、恥ずかしさを覚えながらも興味深く見つめていた。翌年、仕事とJCのアクセルを踏もうと望んだ時に、初めて知った「出席率」という言葉。一生懸命議論して事業を実施したであろう同期の仲間たちの100%出席という尊い絆を、欠席という形で傷をつけまくっていたのかと、ハッとさせられたスタートから今日まで走ってきた。
2004年12月末、父の会社に訪れた、父の知り合いに声を掛けられた日から早5年。自分の夢の実現の為、家族経営の会社に属することなく、勤め人、派遣社員を転々としていた日々。自分のレベルの低さを痛感しつつ、一度夢への道から降りた年。そんな年に青年会議所というフィールドを得た。
入会1年目、家族経営の会社の一員として存在価値を見出そうとアクセルを踏み続け、その流れる景色の中に、同期のメンバーからの誘いの電話、事業の案内も消えていった。 2005年の12月、退会を決意しつつ、ただこなすために参加したその年最後の理事会の議事録作成人。時計の針が翌日を示しても、この地域(まち)の未来像について真剣に議論する、自分と同じ世代の姿に、恥ずかしさを覚えながらも興味深く見つめていた。翌年、仕事とJCのアクセルを踏もうと望んだ時に、初めて知った「出席率」という言葉。一生懸命議論して事業を実施したであろう同期の仲間たちの100%出席という尊い絆を、欠席という形で傷をつけまくっていたのかと、ハッとさせられたスタートから今日まで走ってきた。
それから4年間、仕事と両立しながらもJC活動を自分なりに取り組んできた。お店の駐車場で一人、事業のチラシを配り続けた日々もあった。野球に例えるならば、グラウンドの草取りをしつつ、甲子園・プロをめざす情熱を持って取り組んできたつもりだった。だからこそ、そのグラウンドにレギュラーの選手達がスパイクを履いて訪れ、“遊びの野球”を繰り広げている様に見えたこともあった。創立50周年を迎えた2009年、ふと自分自身の足元を見つめた時に、先輩そして仲間たちが培ってきた青年会議所というグラウンドに、スパイクで走り回っていたのは“自分自身”だったということに気づかされた。
51年目というスタートにおいて副理事長という職を頂いた今、会社経営に影響を与え、結果をもたらせてくれたこの青年会議所というグラウンドに対し、再度、謙虚な気持ちで、“草取り”から始めていきたい。そして“事業という試合”に行くにも、他人の想いのこもったグラウンドに対しては、一礼をしてから入っていくように心がけたい。と同時に、時の早さに迷い、立ち止まっている“当時の自分”に出会ったならば、やさしさと自信をもって手を差し伸べていきたい。
5年前の先輩のように笑顔と自信に満ち溢れた顔で、
「青年会議所に入って、もっと青年として成長してみないか?」と。
51年目というスタートにおいて副理事長という職を頂いた今、会社経営に影響を与え、結果をもたらせてくれたこの青年会議所というグラウンドに対し、再度、謙虚な気持ちで、“草取り”から始めていきたい。そして“事業という試合”に行くにも、他人の想いのこもったグラウンドに対しては、一礼をしてから入っていくように心がけたい。と同時に、時の早さに迷い、立ち止まっている“当時の自分”に出会ったならば、やさしさと自信をもって手を差し伸べていきたい。
5年前の先輩のように笑顔と自信に満ち溢れた顔で、
「青年会議所に入って、もっと青年として成長してみないか?」と。
2010年度副理事長として、課せられた命題の可能性を追求しつつ、新たな仲間の発掘を自信を持って行うことも忘れずに、共に未来へのとびらを創造していきます。
自然との共生から夢を繋ぐ委員会
09松本JCエコロプランを基盤に、継続事業を展開していきます。“宮脇方式”と呼ばれる本物の植樹手法をこの地域で市民の方々とともに実践しながら、次世代を担う子どもたちへ、命の木々を残していきます。宮脇先生の教えや手法が全国の青年会議所の仲間たちへ広く伝播し、取り入れられるような発信をしつつ、自然について子どもたちとともに学ぶ機会をこの地域(まち)に提供していきます。
全城シン企画行動委員会
全国城下町シンポジウムを立ち上げた先輩方、そしてそのバトンを受け継ぎ、それぞれの価値観で28年間、事業を実施し継続してきた城下町をもつ各地青年会議所の功績をもとに、第30回全国城下町シンポジウム松本大会をどう表現していくかを話し合ったこの3年間。これまでの議論を大切にしながら、具体的な企画・方向性を打ち出していきます。社団法人 松本青年会議所
副理事長 奥村 重雄
私たちは、何故、社団法人松本青年会議所(以下松本JC)に入会をしたのでしょうか。大半の会員が、先輩・知人に勧められて入会をしたのではないかと思います。普段の生活では体験できないことを経験できるのが松本JCです。時代変化やスピード社会のなかで、「JAYCEE」も変化してきているのではないかと感じます。新しいことにチャレンジする精神も必要なことですが、昨今、過去の諸先輩方が残してくれた良きものが影を潜めてしまったように思えます。だからこそ、青年会議所活動の本質を今一度振り返ることで、今あるこの団体の価値観を改めて見直すことが必要ではないかと考えます。
組織改革と松本青年会議所の未来
平成18年の5月に公益社団法人制度改革3法案が可決され、平成20年12月に本格的な制度の運用が開始になりました。松本JCでも、2007年、定時総会において公益社団法人格取得に向けた決議をしました。私たち松本JCは、1960年の創立以来地域(まち)づくりの活動をすることで地域に受け入れられてきた団体です。青年会議所がこの法人格を取得することは、この地域(まち)のためであり、5年先・10年先を見据えて活動する青年会議所だからこそ透明性のある活動をするためにも、この公益社団法人格を取得する必要性があると感じます。公益社団法人格の取得に向けて、定款改正を始め解決すべき様々な課題はありますが、会員の協力があれば公益社団法人格は取得できるはずです。不透明な時代の中、団体として公益を追求するのを阻害する課題があるのなら、そのことを逆にチャンスと捉えて、組織全体の見直しや棚卸しをします。思い切った組織改革をすることで、会員の意識や行動が変われば、松本JCの存在をより鮮明に外部に発信できると信じています。地域(まち)づくりは人づくり
会員拡大は、どの青年会議所でも重要な活動になっています。会員拡大の委員会があるだけで会員拡大ができると思うのは大きな間違いです。会員拡大に成功した多くの青年会議所は、中長期のビジョンを持って活動をしています。「たかがJC」と言われることもありますが、本当にそのような人たちに対して話をしていますか。松本JCの一人ひとりが常に情報発信することで、青年会議所活動の魅力をこの地域(まち)の青年に再認識してもらえれば、会員候補者とのネットワークを広げることが出来るはずです。また、地域(まち)づくりは、地域(まち)に暮らす人たちが成長することで、その地域(まち)が発展していくのです。今一度、確固たる信念と夢を掲げて会員拡大をしてみませんか。必ず大きな財産(人材)をこの松本JCに残すことが出来ると信じています。
日常生活は仕事、家族のことで過ぎ去る日々の連続、その中で私は青年会議所活動をしています。この松本JCに入会して折り返し地点を過ぎ、未だに自分探しをしています。青年会議所はまちづくりの団体ですが、私は尊敬する仲間〈JAYCEE〉と共に活動できる機会に、その“仲間”のために行動することで、この組織に必要とされる自分になれると思い、活動してきました。そして、私の信念や想いをぶつけることで、自分らしさを忘れないようにしています。そうすることで、私は仲間を見つけだし成長をすることが出来ました。まちづくりをするならば、仲間と喜怒哀楽を共に感じ合える活動が、地域(まち)づくりに対する効果的な活動だと信じています。
社団法人 松本青年会議所
副理事長 牛越 愼太郎
人間の居場所とは、思いの他に狭いもののようです。
「閉塞感」という殺風景な言葉が大手を振ってまかり通るようになって久しい昨今、時代の大きな流れは一つの変化の端緒を掴んだように思われます。それは私たちが希求するような変化への端緒なのか、そうではないのか、それを見定めようとじっと見守る静かな閉塞感の中に、私たちはいるのかもしれません。
起きて半畳 寝て一畳、人間の居場所とは思いの他に狭いもののようですし、そこにじっとしてさえいれば、静かな閉塞感の中に安住することもできるのかもしれません。しかし、それは私たちJAYCEEが自ら求める居場所なのでしょうか。
私たちは、今とは違う何かを求めて、社団法人松本青年会議所(以下松本JC)の門を叩いたはずです。今いる場所に立ち止まり、自ら動き出そうとしない限り、今とは違う何かは見つけられないし、無理せずできる範囲で動いている限り、何も変らないし、何も変えられない。
であれば、私たちJAYCEEこそ、少し無理をしてみませんか。思い切り背伸びをして、思い切り両腕を広げて、思い切り大股で、思い切ってもう一歩、今いる場所から踏み出してみませんか。思ったより近くに、今とは違う何かを、今とは違う自分を、見つけられると思うのです。
そうした私たちの姿は、私たちの友人を励まし、この地域に暮らす多くの市民を元気づけ、延いては静かな閉塞感漂うこの時代に、大きな強い足跡を残すことができる、私はそう信じます。
起きて半畳 寝て一畳、私たちの居場所としては狭過ぎる、でしょう。
「閉塞感」という殺風景な言葉が大手を振ってまかり通るようになって久しい昨今、時代の大きな流れは一つの変化の端緒を掴んだように思われます。それは私たちが希求するような変化への端緒なのか、そうではないのか、それを見定めようとじっと見守る静かな閉塞感の中に、私たちはいるのかもしれません。
起きて半畳 寝て一畳、人間の居場所とは思いの他に狭いもののようですし、そこにじっとしてさえいれば、静かな閉塞感の中に安住することもできるのかもしれません。しかし、それは私たちJAYCEEが自ら求める居場所なのでしょうか。
私たちは、今とは違う何かを求めて、社団法人松本青年会議所(以下松本JC)の門を叩いたはずです。今いる場所に立ち止まり、自ら動き出そうとしない限り、今とは違う何かは見つけられないし、無理せずできる範囲で動いている限り、何も変らないし、何も変えられない。
であれば、私たちJAYCEEこそ、少し無理をしてみませんか。思い切り背伸びをして、思い切り両腕を広げて、思い切り大股で、思い切ってもう一歩、今いる場所から踏み出してみませんか。思ったより近くに、今とは違う何かを、今とは違う自分を、見つけられると思うのです。
そうした私たちの姿は、私たちの友人を励まし、この地域に暮らす多くの市民を元気づけ、延いては静かな閉塞感漂うこの時代に、大きな強い足跡を残すことができる、私はそう信じます。
起きて半畳 寝て一畳、私たちの居場所としては狭過ぎる、でしょう。
広報国際アイデンティティー委員会
広報活動は、松本JCが市民と歩みを共にするという見地から、極めて重要なものです。私たちの運動・活動に対して市民の理解を得るには、私たちが今、どういう運動・活動をしているか、常に時宜を得た情報を発信し続けなければなりません。単にタイムリーなだけでなく、情報として市民にとって魅力的であることも求められます。私たちは、松本JCのアイデンティティーを見つめ直しながら「この地域(まち)に松本JCあり」を存分に発信し、延いては会員拡大活動への側面支援となるように、様々な工夫をして参ります。 国際交流については、19年間に亘る台南女國際靑年商會との得難い交流を今一度新鮮な視点から再評価し、慣例行事というに止まらず、松本JCにとって新しい価値を認識できる交流の機会とし、交流を通じて日本人としてのアイデンティティー・日本人の心を再評価できるよう、活動して参ります。未来のJAYCEE育成委員会
松本JC会員としての最初の一歩となる1年間、未来のJAYCEE育成委員会は、立ち止まることなく、常に動きながら、その動きの中で青年会議所運動に対する理解を深められるように活動していきます。「松本JC」という看板を背負って、自分たちは何処までやれるのか、失敗を恐れず自ら動きを続ける中で、様々なことを体感し、吸収していきます。そして、活動を通じて感得するであろう青年会議所の内側と外側のギャップをじっくりと味わう中で、自らのアイデンティティーを吟味しつつ、最初の一年間を思う存分楽しんで参ります。出向者連絡特別会議
2010年度松本JCは15名の出向者を送り出します。青年会議所組織全体の中にあって、松本JCの立ち位置を踏まえ、果たすべきは果たし、申すべきは申し、組織のスケールの中に埋没すること無く、松本JCの一員としての自覚と自信を持って、存分に活動してまいります。また、目前に控えた第30回全国城下町シンポジウム松本大会を常に意識しつつ活動し、その動きの中から、松本JCをより活力溢れる組織へと導く糧と、松本JCが胸を張るべきアイデンティティーを見出し、そして再び母港松本JCへと戻って参ります。社団法人 松本青年会議所
専務理事 井上 博文
青年会議所が「明るい豊かな社会」の実現を標榜して半世紀以上が経とうとしています。2008年秋、アメリカ合衆国のリーマン・ブラザーズの経営破綻に端を発した世界同時不況は今なお日本経済に暗い影を落とし先行き不透明な状況の中、将来に明るい豊かな社会を描けている人はいったい何人いるのでしょうか。
青年会議所は40歳までの青年経済人の集まりですが、私たちを取り巻く環境も決して例外ではなく、あくせくしながら今日を生きています。20~30代の私たちが次代を担う責任世代であることに異論を唱える人はいないと思いますが、そんな私たちに求められていることは、この暗く深いトンネルを抜けた先に何があるのかをただ待つのではなく、トンネルを抜けたその先の景色をどのようにしたいのかを心に描いて進んでいく事であると思います。
2009年、社団法人松本青年会議所が創立50周年という節目を迎えることが出来たのも、今日に至るまでの諸先輩方のまちづくりに懸ける血の滲むような努力の積み重ねのおかげであることは言うまでもありません。そして2010年度は、諸先輩方が残してくれた財産を今後どう活かし、私たちがどこに向かって進むべきなのかビジョンを示す大事な一歩となることでしょう。そのような機会にこの専務理事という役職を引き受けるにあたり、ただ単に従来通りに求められることをこなすのではなく、一人の青年経済人がこれに取り組む新たなスタイルを確立し、誇りを持った組織を統括する立場を担い、次につなげる一助となることが肝要であると考えております。
松本が発祥の地であるスズキ・メソードの創始者鈴木鎮一氏の「愛深ければ為すこと多し」という言葉があります。深い愛、つまり私たちの想いがあるならば、この地域(まち)の未来の為に出来ることは多いのだ、ということです。今後何を為すにしてもそこに私たちの夢や想いが込められていなければ本物ではありません。
2010年、私たちが未来に夢を託し、強い足跡を残せる組織となる為に、この「愛深ければ為すこと多し」を心に刻み取り組んでいく所存です。
社団法人 松本青年会議所
事務局長 大蔵 俊介
「事務局長」という役職を聞いて、皆さんはどんなイメージを抱くでしょうか。
「理事長・専務理事補佐」「事務処理役」「裏方」「雑用」・・・様々だと思います。確かに理事長・専務理事を陰で支え、延いては組織全体を陰で支える「裏方」ではありますが、こういった役割・仕事は果たして「雑用」なのでしょうか。
2010年度社団法人松本青年会議所(以下松本JC)が51年目のスタートを切るに当たり、「組織改革・意識改革」の一端として、この「事務局長」という役職が新設されることとなりました。従来以上に強い「組織力」を目指し、組織の潤滑な運営且つ次の50年に向け、若い世代の人材育成を積極的に行っていくという組織の熱い「想い」がそこにはあります。入会2年目、人間的にも未熟な私には大役ではありますが、組織の「想い」に心動かされ、共に新たな51年目の「歴史」を創ることを決意いたしました。
私は常々、「世のため、人のために生きる存在でありたい」と考えています。私という人間は、そして私の仕事は、世の中で必要とされているのだろうか、世のためになっているのだろうか。「損得」ではなく「善悪」で物事を判断し、動くことが出来ているだろうか。そんな問い掛けを常にしながら、前を向いて歩いていける人生でありたいと考えています。
「事務局長」という役職も同じく、上記のような必要性と、私がその役割に携わっている必然性がどこにあるのか、常に自分自身に問い掛けながら成長していきたいと思います。
私は常々、「世のため、人のために生きる存在でありたい」と考えています。私という人間は、そして私の仕事は、世の中で必要とされているのだろうか、世のためになっているのだろうか。「損得」ではなく「善悪」で物事を判断し、動くことが出来ているだろうか。そんな問い掛けを常にしながら、前を向いて歩いていける人生でありたいと考えています。
「事務局長」という役職も同じく、上記のような必要性と、私がその役割に携わっている必然性がどこにあるのか、常に自分自身に問い掛けながら成長していきたいと思います。
松本JCに入会し1年、JAYCEEとして色々なことを学びました。
私が理想とする「世のため、人のため」という言葉が陳腐に聞こえる悲しい時代だからこそ、利他の精神に代表される私たち日本人が、古来より永代継承してきた「思いやり」の心が大切なのだということを学びました。沖縄の地では、「ゆいまーる」(助け合い、人の和)という素晴らしいことばと精神に触れることが出来ました。
世界平和につながる希望の光であり、真のグローバリズムの基(もとい)となるこれらの精神を、身近なところから自らの行動で伝播していきたいと思います。
私が理想とする「世のため、人のため」という言葉が陳腐に聞こえる悲しい時代だからこそ、利他の精神に代表される私たち日本人が、古来より永代継承してきた「思いやり」の心が大切なのだということを学びました。沖縄の地では、「ゆいまーる」(助け合い、人の和)という素晴らしいことばと精神に触れることが出来ました。
世界平和につながる希望の光であり、真のグローバリズムの基(もとい)となるこれらの精神を、身近なところから自らの行動で伝播していきたいと思います。
青年会議所は、組織が単年度制である故に、逆に毎年色々な立場・役割を経験することが出来るという利点があります。冒頭で述べた結びになりますが、この世に「雑用」という「用」はないと思います。仕事を「雑」にした時に「雑用」となるのです。有意義な仕事にするか、「雑用」にするかは、己の心の持ち方次第だと思います。
私は今年一年「初代事務局長」を全ういたします。
私は今年一年「初代事務局長」を全ういたします。